エピソード6 カウンセラーが同情の涙
まだ別居前だったが、心理カウンセラーの友達と話をしたときのこと。
いろんな人がきてそれに寄り添うのが仕事だけど、ここまで不憫な話は初めてかもしれない、と泣いてくれた。
それがなぜまたマスオさんなのか、と。
こういうことがあって、ああいうことがあって、その都度主張するんだけれども何も伝わらない…というような話をしたんだが、友人曰く、
「これまでのマスオさんの行動は、自分の人格とか尊厳を主張しているって行動なんだけど、そもそもそれらは人が生れながらに持ってるものなの。今までそんな状況はもちろんなかっただろうし、まさかそんな扱いをされるなんて予想もしてなかっただろうし。そんな主張をしなきゃいけない環境にいるっていうことが不憫すぎて…泣」と。
いま一番何がしたい?と聞かれて、
「何も考えずにまたみんなでサーフィンしたいかな。」て答えたら、ぼろぼろ涙が出た。
色々あったなぁ。鬱発症事変のあとに自分の親父から電話がきて、「最悪の場合を考えんでも、いつ何をして誰とどういう話をしたとか全部メモしといた方がいいぞ」と言われて、全部メモしてた。いま見たら手帳が真っ黒だわ。
まず、結婚生活=同居生活のスタート初日から色々あったもんなぁ。
「今日からお世話になります。」って家に入ったところまではよかった。そこからだね。
これから生活する部屋に案内してくれだんだが、一切掃除もされておらず、壁や天井からホコリが垂れてる状態。もちろん足の裏は真っ黒、鼻はムズムズ…
壁からホコリが垂れてるんだから積もった厚さは想像に任せる。
ウソだろ…ってのが第一印象。
荷物はここに置いていいよって言ってくれた。またまた冗談を。こんなとこで開かれるわけないじゃない笑と思いながら、「いや、その前に掃除をしよう」と掃除道具探し。
掃除道具がない。掃除機はあったが、それじゃない。雑巾とバケツじゃないと無理だと思ったが、雑巾がないから荷物の緩衝材として持ってきたタオルをそのまんま雑巾にした…
嫁は何をしたらいいか戸惑いながらアタフタしてたが、指示して掃除させた。指示というか命令だったが。
遺品で置いてあるものもホコリで真っ白、垂れ下がってた。
ふと、色々考えたのは今でも覚えてる。
それは嫁家族がうちの実家に挨拶にみえたときのこと。
「マスオさんを大切にしますからご心配しないでください」とどっちかが言ってて、うちの母ちゃん泣いてたんだ。
そのシーンと、ボクが家を出る前の日、どんな生活になるだろうねーとかワイワイ家族で晩御飯食べてたときのシーン。
大切にする?は?先祖代々云々間を守らなきゃいけないから婿養子だ同居だって話をしてた割に、目の前にあるのはホコリまみれの遺品とおそらく20年掃除されていない環境…
言葉だけかい?…と。実家族と義家族のあまりの温度差に、父親と母親に対する申し訳なさで涙がでてきた。
初日から泣きながら掃除掃除掃除掃除。
いくら掃除しても綺麗にならない。
まっさらなタオルもまだ掃除終わってないのに真っ黒。
自分の気持ちと同じだったな、と今書きながら思った。ほんと、この日から汚い言葉を言ったり、怒ったりするようになった。それまで穏やかだったのになぁ。
「これが人を大切にするってことか!」と怒って、嫁も泣きながら掃除掃除掃除。
途中で義父が「なにごと?もうケンカしてるの?」と呑気に入ってきた。嫁が泣きながら説明してたけど、「そう。」と言って出て行った。
しかし悔しかった。生まれて初めて味わう悔しさ。そして親への申し訳なさ。後ろから雑巾を投げつけてやろうかと思った。
よく考えると親戚の人たちも気にかけてくれてたんだよな。お祝いに掃除機くれたり、親戚だけじゃなくて近所の人とかもボクの事務所に来て、色々気にかけてくれてた、今思えば。
みんな、「なんかあったら相談しにきな」と言ってた、ほんとみんな言ってた。
…そういうことだったのね。
ある人はこっそり仕事中の事務所に来て、色々と話をしてくれた。義家族には誰が来たとかも話を聞いたとか内緒にしといてほしいということで。
多分一番大変な思いをするだろうけど、さすがによその家庭の中までは踏み込んで話をつけてあげれないからなんかあったら相談してくれていいと。
まわりはいい人ばっかりだったんだけどな…