親子共依存について考えるーその2:嫁が抱えるもの
嫁と話をしていても、ボクは誰と話をしているのか分からなくなる時があった。
嫁は2つの表情を見せる。
1つ目は付き合っていた頃の表情。
2つ目は何かがのしかかっているような重い表情。
最近たまに会うと基本は2つ目の表情が多いんだけど、それでも少し顔をだす1つ目の表情にボクは望みを賭けている。
2つ目の表情を見せる時は、家の話や親の話をする時。要は「これからどうしていこう」という話をする時だ。一体誰のセリフなの?と思うくらいいつもと違うし、それが自分の言葉でもないことはボクも気付いてはいた。先祖・親が言ってきたことだ。
嫁が抱える”もの”。これは”重責”と書こうかと迷ったんだけれども、果たしてそれが重責がどうか分からないのであえて”もの”にした。
嫁は小さい時から
・将来は婿養子をもらっておうちを継ぐんだよね
・お墓を守らなきゃね
・おうちを守らなきゃね
みたいなことを多分みんなに言われて育ってきたと思う。これは推測だけど。
小さい時って世界が狭いから親や爺ちゃん婆ちゃんのいうことは全部正しいと思うし全部吸収するし、それを達成するとみんなに褒めてもらえるって思うんだ。
多分、それがベースになってる。
ただ、それの話をする時、顔が重いんだよ。死んだような表情。
多分自分の中でもいろんなことを我慢してきたというのもあるだろうし、本当にそれが楽しくてみんなが欲しがるような素敵なものだったら、そんな表情にはならないと思うし、それをどう活かそうか前向きな表情になると思うんだ。
例えばそれが”10億円の現金”だったとしたらどうだろう?
「”10億円”を継がなきゃいけないんだけど・・・」って暗く重い表情で話をするだろうか?「このうちいくらはこう使って、残りと自分たちの財産の残りは次の代に残してあげよう」とか前向きな話になると思うんだよね。
例えばそれがミカン山だったとしたたどうだろう?
これはいらないという人も多いと思うけど、ボクは嬉しいね。
「ミカン山を継がなきゃいけないんだけどさ、どうしよう?こうやってああやってこんなのどう?」みたいな話をしそう。
ボクならある程度伐採して色んな柑橘類を植えたい。欲を言えば梨畑もあると嬉しい。
”10億円”は全くぶっ飛んだ例だけど、比較するにはとてもわかりやすいと思う。
”それに価値があって大事”と思うなら、(例え金銭的な価値はつけられなくても)もっと、楽しい表情で話せると思う。
自分でもそれが重苦しく自分にのしかかってることを分かってるんだろうね。だから、いつも本来の表情を殺したような別の顔を表してくる・・・。
それに、そののしかかりは、「それを子に継がせるため」という連鎖から、「子供を早く作らないと」っていう焦りにつながっている気がする。
可能性がなくなったわけじゃないからもっと落ち着いて欲しいとは思うけど。
でも、親戚を一同思い浮かべてみて、もしここで赤ちゃんができなかったとして、誰かそのことを責める人がいるだろうか?
「なんで子供作れなかったの!!」とか言う人はいない。会ったことはないけれど嫁を可愛がってくれてた亡くなった婆ちゃんもそんなことは言わないと思う。
ただ、もし義父ならなんと言うだろう?これを嫁に聞いてみたい。多分口をつぐむだろうけれど。
多分、その口をつぐむ理由が、代々継いできたものを重責と捉えている理由だと思う。
多分婆ちゃんはそんな重責を担がせるつもりで言っていたわけじゃないと思う。次につながればって程度のどちらかと言うと重責でなく夢に近かったんじゃないかと勝手に推測する。
これまで、どこからこの連鎖が始まったのか知らないけれど、おそらく義父の代も、「まずは子供を作る」ことでその重責を次の代に担がせてきたんだろう。
だから嫁も、2人で住むという話はよそに(まだ義父にも話をしていないようなので”よそに”)子供の話ばかりする。
同じことをしている。子供ができれば次に担がせることができるから。
多分、共依存で気持ちを支配されることで、夢程度に言われてきたことが本人の中で重責になってるんだろうなぁと思った。
しかし、共依存親子にメスを入れることができるか少し不安だな。
親戚に手伝ってもらうしかないかも。