親子共依存について考えるーその3 嫁の中の娘と母
色んな本を読んでは考え、読んでは考えしていると、なんとなくわかってきたこと。
親子共依存の関係を考えていると、
義父は娘を嫁に出したとも思ってる素ぶりもなかったし、親子の境界線はほぼ見当たらなかった。
命令口調、ボクの前でも嫁にキツく言ってる姿はいつものことだった。嫁はビクッとなって萎縮してた。
(そんな姿、親子関係は普通見たくないし、見せたくないと思うんだが。正直ボクにはすごくストレスだった。)
嫁は親に意見を言えないし、反抗もない。
ボクは妙な無力感を感じて、それもストレスのひとつだったが、嫁が無力化されている姿は不憫だった。
そんな時よく、後で嫁に声をかけようか、その場で自分の前でそんなやりとりは勘弁してくれと言おうかと迷ったが、やはり親子には切り込むことは難しい。
さて、疑問だったのは、なぜこの関係で「私がいないとお父さんが心配」になるんだろうなということ。
そりゃ、1人にするんだから分からなくもないけど、他県に行くような話でもなかったのに。
なんでだろう?うーん…と考えていて、少し分かった。
嫁は母の代わりもしている、これだ。
自分がいないと〜っていうのは、嫁の中にいる母代わりの嫁が言っているんだな。
たまに義父は反抗的な息子が母親に言うような生意気な感じの口調でものを言ってたりしたから、もしかすると、婆ちゃんの代わりもしてたのかもしれない。
でも、誰も言ってくれなかったのかな。
「結婚したんだから、もういいんだよ。」って。
普通は寂しくても親がそれを言ってあげなきゃいけないと思うし…親しかそれを言ってあげれないと思うのだが…。
自分で自分に許可を出すって必要だと思うんだ。こんなこと共依存について考えてなかったら気付かなかったな。
意識せずやってることだからね。
みんな嫁の背中にどれだけ色んな負担を担がせてきたんだろ。
誰かの許可を待ってるんだろうけど。
親はどう足掻いても許可を出すようには思えない…。基本的には親が担がせてるから。
嫁が精神的な窮屈感や担いでいるものから解放されたらって思うけど、嫁が精神的に窮屈とか自分が不安定な吊橋にいるとか気付いていなければ何の意味もないんだよな。またボクの素振りになるのかな…。
これもどう手をつければいいのか分からないことのひとつ。